ぷにっとありがたい日々

何事にも感謝をする毎日。

忙しいのはありがたいこと

最近、時間を有効に使っても忙しいのだが
それが本当にありがたい。

生きている!

という気がする。

「忙しい」という漢字は
「心を亡くす」と書く。

いいこというな、と
初めて聞いた頃はよく思ったが

最近はあまりにあちこちで
言われすぎて「いいこというな感」が

減ってしまった。

それはいいとして、
私の最近の「忙しい」は
充実しているという意味も含む。

充実しているというのは
どういうことを指すかというと

一つは

自分の好きなことができている。


二つには

誰かに必要とされている。

そんなとこかな、と思う。

その両方とも叶っているので
充実✖️2の状態だ。

自分も嬉しいし、
お世話をしている相手方も嬉しい。

そんな感じなのだ。

一日の半ばごろには
濃いコーヒーを一杯やらなきゃ
やってられないくらい

体が疲れているけれど
ここでぼーっとしてしまうと

“今やらなければいけない事”が
後回しにできない理由が
次々と降りかかる。

それでやっと夜になって
もう十分忙しかったから
ゆっくりできると思うと

日中忙しかったのもありがたいし、
夜ゆっくりできるのもありがたくなって

なんだか「充実している」と
言いたくなるのも当たり前かと思っている。

それでどっと疲れて

深く眠ることができて

 

翌朝も目覚ましが鳴る前あたりから

うっすら頭が覚醒しだすのだから

この忙しさはとても良いサイクルになっている。

夜型でもないが、朝早く起きるのも

好きではなかったわけだ。

それでも無理やり目覚まし時計を

自分にとって早めの時間で


毎日同じ時刻になるようにしていたら

調子が上がって来た。

 

巷でも言われているし

健康やパフォーマンスに関する本にも

数々書いてあるこの、

「毎日同じ時刻に起きる」

という

簡単そうで難しく、
難しいようで簡単な

健康調子上げ法。

みなさんもやってみては。



どうもありがとう。

 

 

 

 

 

更新していなくてもアクセスがあってびっくり

かれこれ1週間くらいブログの更新をしなかった。

それなのにアクセスがあるのだからすごい。


実はちょっと勉強したいことがあって、
ブログを毎日書く練習より
そちらを優先したかったというのがある。


なんとなくこの1週間でこのブログはもう
いいかな、という気もしたが


100記事を書くまでは
やってみたいので続けてみたい。


これだけブログとかブロガーと
呼ばれる人たちが存在しても
やっぱり続けるのは大変なのかもしれない。

 

キラキラブロガーみたいな
目立つ存在の人たちでさえ


毎日書くのが苦しいとか
大変と思う時もある、と
口々に言っていた。


確かに、何も考えが浮かばない日も
気分がただただ乗らない日もあるもんなぁ。

それでも続けているとその先に
何か見えるものがあるらしい。

一番は自分自身の考えや方針が
まとまるというのもある。

友だちとただ喋るなら
前後関係がどうでも良かったりするけれど、
書くとなると字面だけで勝負だから
おしゃべりより気を使う。


そんなことをちょっと思った。
でもやっぱり更新してなくても

アクセスがある事は本当にびっくりした。


そんなことが本当にあるのだろうかと
思っていたからだ。


アクセスがあると郵便受けに
自分宛の手紙があったり、

メールホルダーに自分宛の
Eメールが来ていたような気になる。

とにかく興奮するし、
うれしい、の一言。


どうもありがとう。

 

 

 

 

 

虫の声と秋の空

めっきり秋らしくなってきた。
夜は虫の声が清々しい。

虫の声をきれいだと思うのは

日本人くらいだと言われるが

そんなこと本当だろうか、と信じられない私は
やっぱり日本人なのだろう。

それでも私の夫は
iPadを持って
外で映画鑑賞をしたりする。

ついでに歌を検索して
曲に合わせて歌を歌ったりもしている。

 

うるさい・・・。

 

どうにかならないだろうか。

私はただきれいなリンリンと鳴いている
虫の声を聞きたいのに。

まぁ彼の職場はほぼ彼一人で
静かに経営しているところなので
家に帰ってきてからは色々音を出したいのは
わかるのだが。

私は逆で子どもたちと、というか
子どもたちのギャーギャーの場面に関わることが
多いから、夜は静かにしたい。

そんな時は夫の側から
立ち去るだけ。

 

それだけだ。

 

 

どうもありがとう。

9/11

2001年の米国同時多発テロから
もううすら20年経とうとしていることに
驚いた。

20年と言うと赤ちゃんが成人するような期間だ。

当時私はすでに大人だったが
まだ実家で両親と暮らしながら仕事をしていた。

あまりテレビを見る家庭でなかったので
世間様が大騒ぎになっているとは
露知らず、翌日母と外出したときに
帰りの車の中のラジオで初めて知ったのだ。

最初は今度放映でもされる新しい映画の
ワンシーンをラジオで現実っぽく
ニュースのように言い始めたのかと思った。

ニュースが進むにつれて、

「これって、本当の話?」

と思わず母と一瞬顔を見合わせて
固まってしまった。

運転していたのは私だったか
母だったか良く覚えていないのだが

とにかくウソのような話が本当だったことに
言いようのない衝撃を受けたことだけは
今でもはっきりと覚えている。

この件に関しては諸説あるが、
その日の朝、何も知らずに出かけていって
巻き込まれた人たちがいるのは事実である。

友人がたまたま日本からアメリカの
ディズニーランドに出かけており、
その日は彼女が日本に帰ってくるはずだった。

事件現場からは遠かったものの、
アメリカ中の航空機関が

待ったをかけていたらしい。

その友人のお土産をもらいながら
1日2日、足止めをくらって
日本に帰ってこられなかった話は
今も思い出す。

毎年この日になると
事件の翌日に車内のラジオで
母とこのニュースを聞いたことと
疎遠になってしまった友人の話を思い出す。

元気にしてるかな。


どうもありがとう。



喉元過ぎれば「暑さ」を忘れる

急に寒くなった。

もう何十年も春夏秋冬の
四季を味わってきたつもり。

それなのに
記憶力の問題なのか、

暑い時には「寒い」という感覚が
どんなものか忘れてしまっている。

たしかに夏でも室内の冷房の
寒いという感覚はある。

でもそれは外が寒い時の
あのなんとも言えない秋の香りと

風の乾き具合とは


やっぱりちょっと違うのである。

慌ててクローゼットから
秋冬用の服やパジャマを引っ張り出す。

我が家には

「衣替えは何月何にちから」

という決まりはない。

毎年毎年

「暑くなった」、「寒くなった」

と言っては慌てて
気候にあった服を引っ張り出している。



そんな騒ぎがありつつも、
また何十回目の秋が無事迎えられることに
喜びを感じる。



どうもありがとう。

雨って・・・イヤ?

どこの国に行っても、

「雨か・・・イヤだな」

という人がいる。

そうかな~。

私にとってはタダで野菜に
水遣りをしてくれる”恵みの雨”だったり

なんとなくゆっくりと
温かいコーヒーでも淹れて
読書でもしたくなるような

”強制的にゆとりを持てる日”だったり
するんだけどな。

あんまり何日も続くと
そりゃ、

「太陽のセロトニン(元気の元)くださいっ!」

みたいになるけれど、

1日、2日くらいの雨だと
なんだかしんみりとうれしくなる。


今日は雨。


どうもありがとう。

ドナルドマクドナルドハウス *語り口調に変えました*

ドナルドマクドナルドハウスをご存知ですか。

私は実は数年前まで、名前はもちろん
その存在さえも知りませんでした。


 

例えば、子どもが熱を出したとします。

風邪かと思って様子をみていても
一向に熱が下がらない。

そこでお医者さまに診てもらったら
突然聞いた事もないような病名を言い渡される。


あれよあれよと言う間に
遠くの大病院まで緊急搬送されることになった。

子どもを持つ親は考えたくもないことですが
時にそんなこともあるのが現実です。

 

そしてその大病院は
新幹線を使っても片道2時間。

面会謝絶、集中治療室などで
何日も何ヶ月も治療を受けなければならない時に、
その家族はどこで寝食できるでしょうか。

毎晩ソファーで寝ていたら体力が持ちませんし、
寝るためだけに新幹線で往復したり、
ホテルに連泊したりするには
金銭面での限界もあります。

また、病気になる子どもが

一人っ子とも限りません。

生まれたばかりの妹や弟が
いるママ・パパたちもいるかもしれません。

そこで活躍するのが
ドナルドマクドナルドハウスなのです。

私の所属する婦人会がボランティアをする日が
迫っているのに急に人手が足りなくなってしまったといいます。

 

私がその施設の存在を知ることになった
ママ友のご家族と息子くんのためにも、
一度ハウスで何かをしてみたかったのです。

すぐに

「やります!」

と申し出たのですが、この婦人会のみなさんは
母親であろうとなかろうと慈愛に満ちている人ばかりなので
あっという間に今度は人手オーバーになってしまったそうです。

すぐにボランティアのリーダーから

「もう人手オーバー状態なの。誰か休んだら手伝ってもらうけど」

と言われましたが、

最終的には人数上限の全員が参加できたようです。

外は雨、意気込んで参加しようとしたボランティアは
人手過多で私は不要・・・。

そこで手持ち無沙汰な私ができることは
このドナルドマクドナルドハウスの紹介でした。

私はアメリカにいますが、
日本でもボランティアを随時募集しているようです。

もし実労動でも金銭的なことでも援助される方が
いらっしゃったら幸いです。

アメリアメリカ言うと
「欧米かっ」(もう古い)と言われそうですが、

個人的にはこういうところに積極的に寄付やボランティアを
するところがアメリカの好きなところです。

寄付→自分だけで貯め込むのではなくて、必要な人に
必要な時にわたるようにお金を回していくことにもつながります。

ボランティア→”生きがい”とはこういうところで見つけられる気がします。

私も次回は婦人会のボランティアリストに名前を入れてもらって
おくようにします。(なぜか人手が足りないときにだけ募集をかけている様子なので・・・)


どうもありがとう。