ぷにっとありがたい日々

何事にも感謝をする毎日。

最近ショックだったこと

自分より若い人なのだが
人生の師としていた人がいた。

仮にAさんとする。

そのAさんの言動
一つ一つは
もちろん、

特にAさんからの
精神論とか励ましの言葉に
いつも感心していた。

ある時、
Aさんと同じようなことを
言っている人がいた。

やけにAさんと
精神論的なものが
似ているなぁ、
と思った。

この人をBさんとする。

調べてみると
このBさんの方が
本を出している
冊数も多く、

私が
“Aさん節”
と思っていた言葉の数々は

ニュアンスは違えど
Bさんの方が
先に言っていたのでは
ないかという疑問が浮かんだ。

ただ、世の中は
誰が言ったかも
わからない名言が

誰かに受け継がれて
似たような表現だけれど

違う言い方で
言われているなんてことは

結構あるものだから

それの一つだろう、
とAさんを発掘し
心の師匠にしていた私は

思い込もうとしていた。

しかし、
師匠のAさんの
古い文面で

「今日は私が師と仰ぐBさんの
公演のお手伝いに行きます」

という部分に出くわしたのだ。

ショックだった。


私が師匠だと思っていたAさんが
意外にもBさんと繋がりがあり、

その上、
AさんはBさんから学んだことで
Aさんの今があったのだ。

要するに、二人とも
基本的に同じようなことを
言っているのならば

私はBさんを師匠と呼ぶべき
だったのではないか。
Bさんが元祖なのである。


ただ、
武道や会社設立でも
ある話だが

創始者、元祖の人間が
まず立ち上げて
その後、流派やグループに
分かれて発展していく。

そう考えると
今回のことも
元祖という意味では
Bさんだったが、

AさんもBさんから
学び取ったことに
Aさんのエッセンスを
足して発展させたと言える。

どちらがいいかという
事ではなく、


どちらの言う事であっても
自分の耳や心にすっと
入ってくる言葉を

自分で選えばいいだけのこと。

確かに流派的なことは
似ていたけれど

AさんとBさんが
面識があっただけでなく、

お互いに生徒と先生だった
時代があったと思えば

今は貫禄のあるAさんも
初めはナーバスに
Bさんから学び取ろうと
していた時代があったのだ、

と思うと、
私が今までAさんから
人生の指針が欲しくて

色々学ばせてもらった
自分の立場と重なる。

やはりみんな繋がっている。

”私の“元祖Aさんと、
”実の”元祖Bさん。

その二人が繋がっていて
今はその二人の
どちらとも
繋がっていられる私は
幸せだ。


どうもありがとう。